底辺パチカスの日常

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    タグ:#菅総理


    〈ニュース〉医療崩壊目前!菅総理から野戦病院発言


    野外病院(やがいびょういん)とは、負傷者を野外で治療する大規模な移動式救護施設のこと。戦場・戦時における野外病院野戦病院(やせんびょういん)とよばれる。 標準的な構成の野外病院は医療スタッフ、持ち運び可能な救急キット、ならびに大型テントが主要装備で、路上や荒野においても設置可能である。
    12キロバイト (1,855 語) - 2021年5月20日 (木) 13:51


    マジレスです

    (作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

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     急激な新型コロナウイルスの感染拡大で、大規模イベント会場や体育館を利用した臨時の医療施設の設置を求める声が上がっている。広いスペースベッドを並べることで、集中的に医療を提供できる場所を確保することを目的として、これをメディアは「野戦病院」と表現して伝えている。18日には日本医師会の中川俊男会長が記者会見で言及し、同じ日に関西経済連合会の松本正義会長が提言書をまとめたことを公表。閣僚からも関連する発言が相次ぎ、そして25日に緊急事態宣言の対象地域の拡大を決定したあとの記者会見で、菅義偉首相が自ら「今回の感染拡大に際し、いわゆる野戦病院をつくるべきだ、こうした多くの指摘を頂いております」と明言してのけた。

     これを受けて勢いづいたようにメディアは連日連呼するが、この「野戦病院」という表現があまりに不適切で、強烈な違和感と嫌悪感を覚えるどころか、日本の首相の発言としては、無知をさらけ出して余りある。

    菅首相の「野戦病院」のイメージは適切か

     菅首相は「いわゆる野戦病院」という言い方をしているから、「野戦病院」と言ったときには、そのものに対する共通の認識が抱けるものと信じている。言い換えれば、相手の想像と認識に委ねるあまりに曖昧で無責任な伝達方法だ。そこで菅首相がなにをイメージして「いわゆる野戦病院」と言ったか、まったくわからないが、私がそこからイメージするもの、というより私の知る現実の「野戦病院」についてまずは確認しておく。

     この夏は終戦から76年にあたる。私は16年前の戦後60年の夏に、太平洋戦争で戦地に送られながら終戦後も復員を拒んで現地に留まって暮らした元日本兵を東南アジアに訪ねてまわった。なぜ、日本へ帰らなかったのか、その理由を知りたかったからだ。旅の記録は拙著『帰還せず 残留日本兵六〇年目の証言』(小学館文庫)にまとめているが、そのうちのひとりに、中国を転戦して最後はインパール作戦に従軍した衛生兵がいた。

     インパール作戦には日本陸軍の3つの師団が動員されたが、インドの要衝インパールを目指したのは第15師団と第33師団だった。彼が所属していた第31師団はインパールより北に位置するコヒマを攻めた。だから「インパール作戦」と言われても、彼にはピンとこなかった。それに作戦を開始した直後に、彼は負傷して前線を退いている。

     作戦開始から6日目。衛生兵として戦闘を注視していると、背後で大きな爆発が起きた。おそらくは敵の迫撃砲だろう。それで身体が前に大きく吹き飛ばされると、熱い痺れのようなものが、負傷した首と腰から全身に広がって動けなくなった。顔見知りの衛生兵が駆け寄って処置してくれたが、その相手の頭にも包帯が巻かれて血が滲んでいた。

     彼はそこから自力で密林のなかを一昼夜さまよって後方の収容所に辿り着くと、トラックで病院に運ばれることになった。ところが、その荷台に揺られていると敵機の急襲を受ける。咄嗟にトラックから逃げて回避したところで、もう身体が動かない。再び荷台に戻されるとそのまま意識を失っていた。

     気が付くと、彼は「野戦病院」のベッドで横になっていた。いや、そこはお世辞にも病院と呼べるようなところではなかった。

    吹き曝しの地面に毛布を敷いて天幕を張っただけの「病院」

     寝かされていたのは、密林に覆われた山岳地帯の丘陵の斜面の一部をL字型に削り取って平らにしたところに、敵兵の残していった毛布を拾って敷いただけのところだった。上には天幕を張って、日除け雨除けにし、上空からは見えないようにカモフラージュしている。あとは吹き曝しだ。こんな「ベッド」が数個ずつジャングルの山中に点在している。これを日本軍は「病院」と呼んでいたのだった。

     彼が寝かせられたところは、3人が一緒だった。しかし、医者も衛生兵も誰も来なかった。介護にも診察にも来た記憶がない。そのうちに、隣に寝ていた兵隊が死んでいった。声すら出さずに、静かに死んでいった。気が付くと死んでいた。

     それから、もう反対側の隣にいた負傷兵が死んだ。

    「水をくれ・・・、水をくれ・・・」

     すぐ隣でそう叫びながら、死んでいった。

     山中に捨て置かれるようにして広がる日本軍の野戦病院の「病室ベッド」。ようやくにして辿り着いたこんな場所で、たった1人残された彼自身も、容態の変化に気付いていた。そして「次は自分の番だ、次は自分の番だ」と心の中で叫びつつ、いつしか意識が遠のいていったという。

     幸いにして、彼がそこで死ぬことはなかった。奇跡的に体力で持ち堪えたと言っていい。そこへ独断で撤退をはじめた佐藤幸徳中将の率いる第31師団がやって来た。傷ついた衛生兵は本隊に合流して後退をはじめる。そこからの餓えと病魔で多くの兵隊が命を奪われた『白骨街道』とも呼ばれる悲惨な道すがらは、史実にあるとおりだ。

    やっとの思いで辿り着いた「野戦病院」に広がっていたのは廃墟とおびただしい数の死体

     インパール作戦で敗走をはじめた別の日本兵は、マラリアに冒されていた。もう少し行ったところに「野戦病院」があると聞いて、それを頼りにしていた。ところが、辿り着いた「野戦病院」という場所には、廃墟に死体しか横たわっていなかったという。

    「『天皇陛下万歳!』なんて言って死んでいく者なんて、ひとりもいませんでしたよ」

     生き延びた衛生兵が戦後60年にあたる当時、私にそう語って聞かせてくれた。

    「なんなのでしょうね、よく映画を見たりすると、必ず日本兵は『天皇陛下万歳!』と言って死んでいく。どうしてあんなことになるのか・・・? まず、そんなことはありませんでした」

     その顔には苦笑が浮んでいた。その次の瞬間、語気を強めて、

    「私は聞いたことがない!」

     そう言ったかと思えば、思い出したようにこう続けた。

    「みんな最期になると、妻の名前を言ったり、子どもの名前を言ったり、それはありました。親のことを呼ぶ人もいましたし、思い出すんでしょうね・・・。衛生兵として、最期を看取ることもあって、知りました。・・・やりきれないですよね、・・・気の毒ですよ」

     衛生兵の宿命として、多くの死を見届けて来なければならなかった。

    「大概は『水をくれ』と言って死んでいく、そういう人は少なくはありませんでした・・・」

     その1人が山中のベッドの隣で死んでいった同胞だった。

    救える命も救えないのが「野戦病院」の現実

    「いわゆる野戦病院」といわれると、私の頭の中には元日本兵が語った事実が思い浮かぶ。そこは安寧の場所でもなければ、より死と隣り合わせであることを意味付ける。医療資源の絶対的な不足から、救える命も救えなかった場所だ。

     それはもっと違ったところで、原爆の投下された直後の広島の医療現場はどうだっただろうか。都市が消滅した片隅で、酷い火傷を負った市民が横たわった場所。あれも野戦病院と呼ばれるべき場所だ。

     たとえば、広くて天井が高い建築物の空間の中に、ベッドだけが整然と並べられて、その間を白衣の天使のような女性看護師が往来している場所を「野戦病院」とイメージしているのだとしたら、まったくの的外れだ。それは遙か後方の傷病兵の医療施設であって、野戦病院とは言わない。それを野戦病院だと信じているのなら、おとぎ話の世界だ。勝手な思い込みメディアがミスリードしている。史実を歪めている。日本人は誰もが「天皇陛下万歳!」と叫んで死んでいくものだというように。

     ましてや、8月15日の終戦の日に靖国神社に玉串料を納めたばかりの現職の首相が、臨時に設置する医療施設を「いわゆる野戦病院」と国民に呼びかけることには、あきれ果ててむしろ憤りさえ覚える。実態はもっと壮絶な場所だ。そこで失われた尊い命も多い。それでも魂だけは祖国に帰れると信じた。その御霊が招魂されて、家族や戦友に再会できると信じて彼らは戦い、命尽きた。もはや戦没者を冒涜している。

     そんな軽口を叩くような調子だからこそ、新型コロナ対策もうまくいかないのだろう。国民の命と健康を守ると豪語するには程遠い。

    [もっと知りたい!続けてお読みください →]  【舛添直言】尾身会長の「バッハ批判」どうにも腑に落ちない理由

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    1944年5月、ニューギニア島ホーランジアの米軍の「野戦病院」。手当てを受けているのは負傷した日本兵。米軍の野戦病院でこの状態、日本のそれはさらに劣悪な状況だった(写真:AP/アフロ)


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    〈ニュース〉菅総理、小池都知事は辞めた方がいいと思うんですが


    小池 百合子(こいけ ゆりこ、1952年〈昭和27年〉7月15日 - )は、日本の政治家。東京都知事(第20・21代)。東京都練馬区桜台在住。 アラビア語通訳者、ニュースキャスターを経て、1992年に政界へ転身した。 テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』キャスター、参議院議員(1期)、衆議院議員
    148キロバイト (20,679 語) - 2021年8月6日 (金) 13:32


    辞めた方がいいと思います。

     新型コロナウイルス関係の識者としてテレビ出演を続ける、医師の倉持仁氏の発言が注目を集めている。倉持氏は、8月3日放送の『Nスタ』(TBS系)内で、中等症の患者を自宅療養とする政府の方針に「言っていることがめちゃくちゃ」と猛批判。菅義偉首相と小池百合子東京都知事を名指し、2人の発言は「国民にまっとうな医療体制を供給しませんよというメッセージだと思う。こういう人たちに国を任せては国民の命は守れませんから、2人とも至急お辞めになった方がいい」と直言した。

     倉持氏は栃木県にあるインターパーク倉持呼吸器内科の院長を務める人物。呼吸器内科の専門家として多くのテレビ出演を果たしているほか、ツイッターでも積極的に情報発信を行っている。そんな倉持氏は、過去にも直言を行ってきた。

     ​>>玉川徹氏、菅首相に「トップがこれで言うこと聞きますか?」怒り爆発 煮え切らない返答、首相としての適性に疑問<<​​​

     7月4日には自身のツイッターで、東京オリンピックパラリンピック開催に向けて、人類の努力や英知を引き合いに出し、意欲を示す菅首相に対し、「残念ながら日本においては努力や英知を集結はせず、ほぼほぼ自助ときおり共助、ほぼなし公助、そして絆。なんの絆かはわかりません」とバッサリと切り捨てた。

     5月12日ツイッターでは「政府批判をすることなど目的ではありません。自分の患者さん達に不利益が出ないように医師の立場として発信しています」と自身の立場を明確に示している。

     2020年7月に出演した『ひるおび!』(TBS系)では、安倍晋三首相(肩書は当時)が配布した「アベノマスク」に、「限られた医療資源の中で、なんでここにお金を使っちゃうのかということは医療従事者から見ると、非常に残念な気持ちにならざるを得ない」と批判した。

     こうした直言が多いためか、過去には倉持氏の元にはカッターナイフの刃が送られてくることもあったという。

     政府の間違ったコロナ対策に「ハッキリと物申す」倉持氏の姿勢には、「信頼できる先生の存在だけで、どれだけ厳しい現実の中でも、心の拠り所と希望になります」「これからも『正しい』ことを教えて下さい」といったエールの声がネット上では多く聞かれる。これからも倉持氏の発言は注目を集めそうだ。

    記事内の引用について
    倉持仁氏のツイッターより https://twitter.com/kuramochijin

    小池百合子都知事


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    〈ニュース〉菅総理に引退勧告


    菅総理(大臣)(かん/すが そうり(だいじん))、首相(かん/すが しゅしょう) 直人(かん なおと) - 日本の第94代内閣総理大臣。菅総理(かんそうり)と略される 義偉(すが よしひで) - 日本の第99代内閣総理大臣。菅総理(すがそうり)と略される。
    996バイト (63 語) - 2021年3月13日 (土) 05:50


    そんなに言わなくても笑

    代替テキスト

    アメリカによって原爆が投下され、今年の8月6日で76回目の「原爆の日」を迎えた広島。

    同日午前8時から広島市・平和記念公園で平和記念式典が開かれ、被爆者や遺族、海外から83カ国と欧州連合(EU)の代表者らが参列。原爆が投下された時刻の8時15分に合わせて、1分間の黙とうが捧げられた。

    唯一の被爆国として平和を希求する大切な式典だが、菅義偉首相(72)の“失態”が物議を醸している。

    挨拶の冒頭で、「本日、被爆76周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が執り行われるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠をささげます」と切り出した菅首相。

    ところが広島市を「ひろまし」、原爆を「原発」と間違え、言い直す一幕があった。

    ■「核兵器のない世界」を読み飛ばし……

    さらに中盤では、原稿の一部を読み飛ばしてしまう“大失態”を犯してしまったのだ。

    「日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない、核軍縮の進め方を巡っては、各国の立場に隔たりがあります」と、総理就任後に国連総会で述べた誓いの言葉を読み上げた菅首相。ところが、意味が通じにくい表現となってしまった。

    首相官邸公式サイトによると、菅首相が述べた「核兵器のない」と「核軍縮の進め方を巡っては」の間には本来、次のように読み上げられるはずだったという。

    「世界の実現に向けて力を尽くします。』と世界に発信しました。我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です。近年の国際的な安全保障環境は厳しく」

    核兵器のない世界の実現を誓う、大切な箇所をスルーしまった菅首相。その後の記者会見では、「この場を借りてお詫び申し上げる」と陳謝。また時事通信社によると、式典に参列した公明党山口那津男代表(69)は「核兵器のない世界を目指す一貫した政府方針に何の揺らぎもないと思う」と擁護したという。

    しかし参列者からは、「ありえない」との声も上がっている。毎日新聞によれば、広島被爆者団体連絡会議事務局長の田中聡司さん(77)は、「不勉強かつ不誠実。菅首相の基本的な姿勢が表れたのだと思う」と憤りを見せたという。

    日本の総理大臣としてあってはならない菅首相の行動に、批判の声が上がり、一部では“引退”を勧告する人も。

    《ワザと? と思わざるを得ないほどあってはならない重要箇所の読み飛ばし。もう引退してゆっくりしてくださいよ……》
    《原稿読むことすら、できなくなったのか。読んでてその場で違和感に気がつかないのか。内容のことなんか、これっぽっちも思っていない証拠だよ。って言われても否定できんよな。支持者向けの内輪の講演会じゃないんだよ》
    《菅首相、おつかれさまでした。限界越えてますよね。今日にでも総辞職してください。って言いたい。間違いは誰にでもあるけど、世界で唯一の被爆国日本の総理大臣が一番しちゃいけない間違いだった》
    《原稿すら読めないとなると、この爺さんが何かまともにできるの事があるのかと疑問に感じてしまうね 》



    (出典 news.nicovideo.jp)

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    〈炎上必須〉実は平和記念式典に菅総理が遅刻していた


    義偉(すが よしひで、1948年〈昭和23年〉12月6日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、内閣総理大臣(第99代)、自由民主党総裁(第26代)である。 横浜市会議員(2期)、総務副大臣(第3次小泉改造内閣)、総務大臣(第7代)、内閣府特命担当大臣(地方分権改革)、郵
    138キロバイト (19,766 語) - 2021年8月9日 (月) 12:14


    騒ぐ事ではない

    このニュースは、1行(タイトルのみ配信)速報です。

    ソース共同通信社
    https://nordot.app/797355741307518976?c=59182594473885705



    (出典 news.nicovideo.jp)

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